乾いて接着力の無くなったポストイットのような男と女の出会う不幸:『沖で待つ』
ダメンズのクラタマさんの最新作を読んでいる。感心したのは、惚れてもない男と女がつきあい続ける力学の分析。核心を突いてしまって、あまりに生々しい現実を言い当てられて、はなから熱くもない関係がさらに興醒めするような、余計お世話だよなというところを敢えて説明しきっている。
絲山秋子氏の『勤労感謝の日』にも、そういう野暮な分析の凄みがある。成熟しすぎてしまったオンナが、天然としか言いようがないオヤジらしいオヤジ男を脳内でどう値踏みしているのか、よせばいいのに、敢えて白日のもとに曝しているのだ。他人事なら抱腹絶倒。しかし自分もそういう風に、キモイとかcreepyとかいう風に見られてんだろうなと直観した日には、限りなくブルー。
|
沖で待つ 著者:絲山 秋子 |
あ、『勤労感謝の日』は芥川賞受賞作の『沖で待つ』と同名の本に収蔵された作。意地悪く言えば前座のように抱き合わされた作品だが、こちらも個性が光る。いささかくだけた、誤解を恐れずに言えばブログ記事、あるいはコミックのような面白さ。
『沖で待つ』では、ニッポンの会社における『同期』という独特の連帯感を伝える。ハードディスクの壊し方、というのは現代的で面白い題材を選んだものだと感じたが、幽霊まで登場させる何でもアリなところには、唐突かなという違和感もある。
ひとえに読み手側の力量の問題ということになるのだろうが、正直なところ、最近の受賞作は自分には『なぜ』なのだかよくわからない。文芸としての完成度と言われれば、返す言葉も封じられるのだが、面白さというのは、どうなんだろうか。
それにしても、『沖で待つ』という言葉は印象的だ。かつて涅槃という言葉を用いて旅立った方を思い出すにつけ、ああ、三途の川の向こうとこちらの関係はそういう風に表現するのが日本人のココロには優しいのかなあと、考えさせられる。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

