若手お笑い芸人のブームとなって久しいが、そこに演劇でいうホンの良さを感じることが少なくない。ホン、脚本である。例えばアンジャッシュ。ちょっとした誤解の連続で騒動が大きくなる様は、今回読んだチョコレートコスモスでいえば「戦争と電話」のシナリオに通じるところがある。女ピン芸人友近の一人芝居も、芸術ではなくて娯楽側に振っているが、あれもシナリオが命、そういう芝居であることに変りはない。自分でホンは書いているのだろうし、ホンではなくてネタとか呼んでいるのだろうが、ホンの良し悪しが結果の大勢を決する。さらに、微妙な間合い等、芸人たる演技力がさらに完成度を高める。掛け算の構図。
さて、小説家が戯曲を書くこともあるし、小説家志望が脚本家に落ち着くこともあろう。チョコレートコスモスには、神谷、巽といった脚本家の他にも、プロデューサー、担当官庁の官僚など、演劇をとりまく様々の人種が登場する。その中で、恩田陸さんが「ホン」を書く脚本家を狂言回しの役割で「自分の視点」として置いているように感じる。巽は学生時代の自分、神谷は近未来の自分かいな。どっちも男だけど。少女漫画的な「女優の世界」への憧憬を直球で描くだけでなく、ホンは大事なのよ、という自分の立ち位置を明確に主張しているのではないかと思う。
一つ驚いたのは、主役の天才少女、佐々木飛鳥が具体的にどうすごいのか、ちゃんと描ききっていること。観客がチョー感動した云々の結果だけ書いてプロセスを誤魔化したりサボったりするのでなく、どのように演じたか、創作し、描写しているところ。
ところで、チョコレートコスモスはガラスの仮面と比較して論じられることが多いが、はたしてそれは適切か。台詞を一発で覚える天才少女、確かにマヤを引き合いに出したくなろう。少女漫画にも造詣の深い恩田さん、もしかしたら一度、敢えて似たような状況設定で、絵(漫画)に対する文字(小説)の表現力の検証、女優賛美オンリーの世界に対してスタッフ乙まで含めた舞台賛歌をやってみたかったのかもしれない。オマージュというより、挑戦だったんじゃないかと。まあそれも、対比、ということに違いはありませんか。
それにしてもパフォーミング・アーツの世界は面白い。大昔の話でただの余談だが、ロンドンでレ・ミゼラブルを見た直後にブロードウェイで同じ演目を見たら、同じ舞台装置で同じ演出なんだが、役者さんがやたらと自己主張することに驚いた。お国柄だろう。そもそも比較して見ようなんて発想が好き者の証で、素人ながら、演劇ヲタクの素質十分な自分であることを感じる。
※ だがこの小説500頁、決して読みやすいわけでもない。所要時間4~5時間とされ、自分も他の小説はその程度で読めるが、チョコレートコスモスの前半では1週間以上かかり、逆に後半は3時間程度。面白くなってくるまで忍耐の連続で、ネバーランドのような苦手な部類を連想して、何回もギブアップした、というのが真相だ。図書館の予約で順番を待ってる皆さん、お待たせして御免なさい。